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第13話 後編

 香澄の両頬は赤く腫れあがり、服には赤黒い染みが出来ていた。
 水に濡れた傷だらけの少女の肩を支えながら歩く少年二人、というのは相当に人目を引く絵面だ。
 好奇の目に舌打ちをこらえつつ、形兆は香澄の肩を引きずるようにして歩く。香澄の足取りは重かった。

 時間をかけて虹村家まで歩き、リビングのソファーに座らせる。
 すでに一度香澄は虹村家に来ているとはいえ、家にあげることに抵抗がなかったわけではない――葛藤はずっとしていた。

 びしょぬれの香澄を脱衣所まで連れて行って、風呂に入らせる。
 シャワーを浴びる水音をリビングで聞きながら、形兆は着替えの問題に気付いて頭を抱えた。シャツとズボンは自分のものを貸してやればいいだろう。しかし下着は。
 億泰に買って来させるか。しかしサイズがわからない。それに男の買ったものなど新品未開封だったとしても抵抗があるに違いない。

「ど、どうする、兄貴……あっ兄貴に従うぜっ」
「こういうときにまで丸投げすんじゃねぇ! くそっ」

 頭を抱えながらうんうんとうなる。
 そういえば未開封のボクサーパンツがあった、と思い、一応それを脱衣所に置いておく。
 香澄はなかなか風呂から出てこない。当然だろう。
 シャワーの音がずっと聞こえている。

「このあとどうすんだ、兄貴よォ」
「……知るかよ」

 形兆は億泰から目をそらした。思わず連れて来てしまったものの、これからどうすればいいのか。
 関わるべきではなかった。見てみぬふりをして、そのまま香澄のことなど忘れてしまえばよかったのだ。うまくいかない――理性と感情がせめぎあって、色の違う絵の具がまざるようにぐちゃぐちゃになって収拾がつかなくなる。
 自分がなにをしたいのかもわからなくなってしまう。

「お風呂……お借りしました」

 しばらくして、風呂から出てきた香澄がおずおずとリビングに入ってきた。
 形兆のだぼだぼのシャツを着ながら、居心地悪そうに。ちいさな香澄が着ると形兆のシャツはワンピースのように見える。
 なにか言おうとして、形兆は言葉をつまらせた。香澄はズボンを履いていないのだ。そして、おそらくは置いておいたボクサーパンツも。
 すらりとのびた生足が目に毒で、形兆は億泰と一緒にギクリとした。

「おっおめ〜なんでズボン履いてねぇんだ……」
「さすがにズボンとパンツはサイズがあわなすぎて……あっ、でも下にはバスタオル巻かせてもらってるから大丈夫だよ」
「めくるんじゃねー!!」

 形兆は億泰の目を隠して、顔をそらしながら叫んだ。健全な青少年の前であまりにも目に毒すぎる。
 動揺させるのは生足のラインもそうだが、肌色を赤黒く染めるいくつかの青あざもだ。
 言葉をつまらせる形兆を見て、香澄はくすくすと笑った。
 鈴を転がしたような声が耳をくすぐって、そのリラックスしたような声音に形兆はむしろ背筋が寒くなった。

「にっ虹村くんもそんなふうにうろたえたりするんだね、意外」

 口元を隠しながら、目を細めて香澄は笑っている。

「ごめんね、バカにしてるわけじゃないよ。でも、面白くって」

 笑いの表現はどんどん大きくなり、くすくすからけらけらに変わっていく。
 ここだけ切り取ってみてみれば、いつも通りの香澄だと誰もが思うだろう。
 しかし形兆と億泰はここに至るまでの流れを知っている。
 強がりだということはすぐにわかる。

 リビングの入り口で突っ立っている香澄を無言で呼び寄せ、ソファーに座らせる。

「これでも使ってろ」
「……ごめんね」

 熱さましシートを箱ごと香澄に放り投げる。香澄は短く謝罪をした。
 なんと声をかければいいのかわからず、形兆は箱からシートを取り出す香澄の手をじっと見つめていた。
 すると、しびれを切らした億泰が声をかける。

「なぁ香澄、お前ぎゃっ、ギャクタイされてんのかよぉ」
「……聞かないでよ億泰くん。わたし、頼りたくないからさ」

 香澄は笑ったまま、困ったように眉を下げた。シートを頬に押し付ける指先が震えている。
 無理やり形作った虚勢は、今にも剥がれ落ちそうなほどはかないものだ。

「もう関わるなって言われたのにこんなことになっちゃってさ。迷惑かけちゃったよね。傷の手当させてごめんね。洗濯してもらってる服乾いたらすぐ出てくからさ」

 目を見開いて、震える唇でまくし立てる香澄に形兆は眉根を寄せた。
 父親のことを思い出して心に憎しみを募らせる。わざと自分をイライラさせてから、口を開いた。

「すでに関わらされてんだよ、俺たちはよ。わかるように話せ……なにがあって、なにをして、なにをされてんだお前は」
「……形兆くん、その声反則」

 くだらない抵抗は、香澄のピンクスパイダーの前では無駄のようだった。
 香澄の笑顔は、歪んだつらそうな表情になる。その後は早かった。
 わっと泣き始めた香澄は、今までのことを切々と語り始める。

「わたしお母さんを殺したの」

 その言葉から始まる、悲しい過酷な日々を。




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